権威に関するもの

■「権威」と「権威主義」と「権威主義パーソナリティ」のそれぞれにせまってみた過去記事のまとめ。

権威とは何だろうか。

「権威」
特定分野において専門的な知識を有する人などを称する場合に用いられる。
「権力」(威嚇や武力によって強制的、優勢的、一方的に同意・服従させる能力・関係)とは違うものである。「権威」により相手に自発的に同意、服従させるものとはわけられる。

「権威」というものはごくごく日常や世間にあふれ、各分野に多岐にわたり、権威にって与えられる影響は大きいものであり、それらによって社会の秩序があり、統率がなされ、文明文化が発達し、政治が行われ、社会が整えられていくものであることが伺える。

権威の影響力と、権威に対する個人個人の姿勢とバランスが小さな社会、または大きな社会、要するにグループをつくりあげている。

「権威」そのものは悪とみなすものではなく、放棄するものではなく、権威と自分、あるいは権威と社会の関わり方や扱い方が問題になってくること、また、権威とどのような付き合い方の環境に自分がいるか、ということが権威主義的パーソナリティと関係する。
権威との関係が相互的であるか、搾取的であるかも違いをみるひとつであることがうかがえる。(ただし、搾取されている場合も、搾取されていると自覚を持つことは案外難しいかもしれない)

権威に盲目的に服従する(させる)社会がなされれば果てはナチズムや全体主義、権威を無視する社会がなされれば果てはアナーキズム、というなんともよろしくないことになる可能性も含むことも伺える。
そして、権威に(無批判に)従うことをよしとする社会をなす人があるとしたら「権威主義」や個々における「権威主義的パーソナリティ」を問うてみる。
「権威への批判の姿勢」も同時に問う。

●権威がある=尊敬すべき対象?
すべてにこう思ってしまうのは権威主義かもしれない。
権威に尊敬するのではなく、実質的に権威の中身を問うことが必要だろう。
また権威と聞くと自動的に胡散臭く思ってしまう。これもある意味権威主義の裏返しの可能性あり。

権威主義を解体するには、「多元的な視野」が必要。
正解は一つとは限らない。
この「多元的」というのが、自分では多元的なつもりでも俯瞰のつもりでも井の中の蛙にすぎないことはいくらでもある。

●政治や組織における家父長主義的な態度を権威主義と同義に捉える考え方もあるが、必ずしも少数支配者の権威に依存することのみが権威主義であるというわけではなく、多数の権威や思想の権威に依存することも権威主義の一種である。

●反権威思想も権威となりうる。

●権威という装飾品、「ブランド」という面もひとつ考えてみる。
ブランドというのは一定の品質として「信頼できるもの」という面を持ち、ブランドを選択することは、粗悪品をつかまされない一つの選択基準であり、ひとつの智慧ともいえますが、「ブランド」「有名ブランド」つまりそのものに価値を問うことなくとびついてしまうといった光景は、いってみれば権威に盲目的に服従するパターンと同じかもしれない。

続く