権威に関するもの つづき

権威主義的パーソナリティ

前にも書いたけど「権威主義的パーソナリティ」は、エーリッヒ・フロムが提唱した概念。

集団が共通する基礎的経験を持ったり、共通の生活様式をとる結果、その集団に共通して見い出されるパーソナリティ構造が生じる。
そのなかで権力への無批判な同調とともに、自分より弱い立場の者に対して威圧的態度をとるようになる、という二面性を合わせ持つ心理を権威主義的パーソナリティと呼ぶ。

●権威との関係

権威とは、あるものが「もっている」資質ではない。
権威は、あるものが他のものをかれよりも優越したものとして見上げる人間関係と連関(←本そのまま)している。
しかし
(A).理性的権威と名づけることのできるような優劣関係 と、
(B).禁止的権威と称すべき優劣関係 とのあいだには、根本的な差異がある。

そのまとめ

(A).教師と生徒の関係 → 教師は生徒を伸ばすことができれば満足する。
失敗すれば、それは教師の失敗であり生徒の失敗となる。

・権威に服従するものを助ける条件。生徒は学ぶほど、かれと教師とのあいだのギャップは小さくなる。生徒はいっそう教師と同じようになる。
・愛情、賞賛、感謝などの要素が支配的。権威は同時に、ひとが部分的あるいは全面的に自己を同一化したいとのぞむ規範である。
・権威に服従している人間が、いっそう強くなり、したがって権威にいっそう類似してくる度合いに比例して、権威は減少していく。

(B).奴隷所有者と奴隷 → 奴隷所有者は、できるだけ奴隷を搾取しようとする。できるだけ多く搾取できれば、かれはいっそう満足する。同時に奴隷も、ほんの少しの幸福であっても、できる限り自分の要求を守ろうとする。両者の利害ははっきり対立しており、一方の利益は他方の損害である。

・搾取の為の条件。その距離は、関係が長引くほど拡大するのである。
・搾取者に対する反感や敵意がおきる。かれに服従することは自己の利益に反している。しかし奴隷の場合などでは、憎悪はほとんど勝利の機会もなく、ただ苦痛に服従するような矛盾を導くだけである。そのため憎悪の感情をおさえ、ときには盲目的な賞賛の感情におきかえようとする傾向が生まれる。(1、憎悪という苦痛に満ちた危険な感情を取り除く。2、屈辱の感情をやわらげる)
・結局のところ、憎悪か、あるいは非合理的な過大評価や賞賛が増大する傾向にある。

・理性的および禁止的権威の差異は相対的なものにすぎない。権威の場面を具体的に分析して、つねに権威のどちらの種類が重いかをきめることが大切なのである。

・権威はつねに、「汝はこのことをなせ」「あのことをなすべからず」と命令するような個人や制度であるとは限らない。この種類の権威は外的権威と名づけることができるであろうが、権威は、義務、良心あるいは超自我の名のもとに、内的権威としてあらわれることもある。