集団の心理と力学

再び、「めざせ MC analyst」(byきょうこさんのブログ)から参考に。

1968年、ベトナムのソンミ村で合衆国の一小隊による虐殺が行われた。
精神科医であるM・スコット・ペック氏のまとめたその集団戦争犯罪心理的背景を参考にして、「集団の心理」「集団の力学」について。

●集団が持つ人格は、未成熟になる
集団は、個人個人が集まったものですが、そこに責任を問うとき、責任は集団を一つにまとめたその全体にあるという心理が働き、個人の責任感が薄れやすくなります。

●人間は、集団の中で、本来の自分から退行するときがある
例えば、お互い見ず知らずの十数人の集団があると、まずリーダーが自然に決まります。
(リーダーになりやすい人格のヒトがなる、または周りがその人を自然に選ぶ)
この背景には、大半の人たちが、リーダーになるよりはリーダーに従う側に回る方を選ぶ、ということがあります。従う方がラクだからです。

 リーダーと従う者、の役割が決まると、リーダーに対し、「心理的依存」が起こってきます。従う側のヒトは、ひとりでいる時には自分で決めるような事もヒトに従ってしまったり、その人の本来の人格よりも未熟になってしまうことがあります。

●集団からはずされる恐怖。
この犯罪を外部に報告する事は、「たれこみ屋」「スパイ」のレッテルを貼られ、集団からはずされる恐怖があります。

●ストレスが与えられ続けると、人間は感覚が麻痺する
ストレスが持続する状況下では、自分を守るメカニズムとして、ヒトは「感じなく」なっていきます。(防衛)
感じなくなる、という事は、普段は正常に判断して、やらないであろう悪い事もやってしまうかも。

●集団が一つの個体として、人格を持つ
「集団のナルシシズム」が、「集団のプライド」として表れてきます。
Aグループに所属するヒトなら、「Aグループのプライド」を個人は持つようになるのです。
そして個人のプライドと集団のプライドはリンクしていきます。

●もし、なんらかの失敗が集団にあった場合、その集団の外部に「敵」を作る事で、集団ナルシシズムを満たそうとします。

【まとめ】
1)集団でやっている事の責任を、個人は感じにくい。
2)集団からはずされる事に恐怖を感じる事がある。
3)ストレスにさらされ続けると、ヒトは正常な感覚が麻痺しする。
 よってふだんやらないような悪い事をやってしまう場合がある。
4)リーダー的存在に依存的になる。
5)集団のプライドと、個人のプライドがリンクする。

以上のように、人間は、集団でいる時には、特有の心理的な影響を受ける。
程度の差はあれ、様々なカルト、また議論あるグループに当てはまると思うことがあります。



ex【ソンミ村大量虐殺事件】
ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ陸軍のウィリアム・カリー(William Cally)中尉率いる小隊が、女性や子供を含む無抵抗の民間人を4時間で504人を虐殺した事件。米軍上層部は米国で反戦機運が高まるのを恐れて隠ぺいを図り、ベトナム戦争への批判が高まる契機となった。
実際に殺戮に加わったのは50人ぐらい。目撃者は200人ぐらい。その週のうちに、この虐殺の事実は500人の隊員に知れ渡った。
しかしアメリカ国民がこの事実を知ったのは、事件から1年以上も経った頃。
一人の兵士が、数人の議員に手紙を送った事により、発覚。

村民に銃を向け、引き金を引いたのは、個人。命令したのも個人。従ったのも個人です。