マインド・コントロール再び そのさん
【全体主義とMC論】の続き
西田公昭編とマインド・コントロール研究会編
リフトンもちょっと。
全体主義的思想は日本でも、身近でもあることだという認識が必要。■『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)西田公昭
「破壊的カルト……彼らがメンバーに与えている「自由」は、マインド・コントロールによって見せている「幻想」である。つまり、破壊的カルトは、全体主義思想による支配を、現代の自由主義社会の真ん中で、こっそりとおこなおうとしている。」(P232)
単純なわかりやすさにひかれ、複雑な物事やあいまいさを嫌う傾向はないだろうか。■『親は何を知るべきか』(いのちのことば社)マインド・コントロール研究会編
●言語の詰め込み
言語を管理することで、思考の管理が容易になります。全体主義集団では、現実を黒と白にはめ込むために全体主義的な言語を使用します。(「思考を停止させる決まり文句」)。外部のものは信者が話すことばを理解できません。この場合、使われることばは人間の理解力を発展させるよりも、抑えつけるものです。
現実と教えの乖離がないかどうか。●教義の優先
実際に体験したことよりも「教義の真理」のほうが重要と考えます。
「全体主 義的集団の真理」が良心や誠実さに取って代わります。
●聖なる科学
全体主義的集団では、自分たちの教義は科学的であり、道徳的にも真理であると信じられています。他の見解をもつことは許されず、教義に疑問をいだくことも禁止されています。
科学とは、理論が万人、万国、万事共通でなければ、科学的とは言えない。
科学と言われて安易に鵜呑みにしないことも大事だろう。
大いに疑問を持って考え調べる事ができるものなのだ。
●存在の配分
(全体主義的集団では)存在する権利をもつ者、もたない者を決めるのは集団です。全体主義的集団には、他に正当な選択肢は存在しません。その集団が政権である場合は、国家による処刑を許すものです。」(リフトンの研究の整理メモ)
多くの人数に扇動されていれば正しいとはいえない。
実質的なものをみていく必要があるし、自集団以外からの客観的な視点を持ってもらうことも大切であるということ。