マインド・コントロール再び そのいち

あらためて「マインドコントロールとは何か」(西田公昭著)を読んだ。
以前読んでいたときは、自分の事例で思い当たる部分だけを拾って読んでいた気もする。

そのときは読み終えて、しばらくしてカルト問題に関心がなくなった時に一度本を売ってしまった。家にはあまり本を溜め込まない。

あらためて図書館から借りて、もう一度読んで、もう一度考えてみるように心がけてみた。
今回は読みながら抜書きした。ワードで32ページ分。
数年ぶりに本を開いてみると、読み飛ばしていたことや、MC論や用語に対して勘違いしていた部分などが見つかる。
「こんなに社会心理学について書いてあったっけ?」と思った。
まぁ、社会心理学者が書いている社会心理学の本なわけだけど。

いまやネットでもMC論がいろんな意味で使われているが、おかしな解釈というか、都合よく利用されているなと思う場面もときどき出くわす。
それらしく専門的に語られていると、つい鵜呑みにしてしまいがちだけど、それが必ずしも理論どおりであるか、使い方が正しいかというと、抜けていたり間違っている場合も多いことがある。
少なくとも他人をレッテル貼りして貶める為のツールではないし、自己正当化の為のツールでもない。


今あらためてとても気になっているのは、脱会前はともかく、脱会後もまだカルトMCが解除されていない状態のこと。
せっかく教えていただいたので、なんども言わせていただくけど、
脱会しただけで、MC論を読んだだけで、MCが解けるわけではない、ということ。
信仰を捨てられれば、他の信仰を持てれば、MCが解けているわけではない、ということ。
破壊的カルトMCの残骸は、思考と感情の中に今でも残っている可能性がある。
その残骸が時として思わぬ後遺症やトラブルを起こしてしまう可能性も残っているかもしれない。

出来る所は、脱会者同士でもケアしあおう。
でも、自助ケアできる範囲と、その先の専門家のケアは、区別して考えていかなければならないようだ。

本当に苦しんだら、一度は自分でMCの専門書を読むなり、脱会者ケアの専門家にたずねてみたりしたほうがいいと思う。
そして「MCとはなにか」を考える事は、信者本人にも脱会者本人にも、カルトに属していた本人ににも有意義なことだと思う。
【自己点検も含めて、脱カルトについて、脱MCについて】も考えてみてはいかがだろうか。

「人生やり直しは出来ないが、見直しは何度でもできる」
そのたびに、新たな発見と新しい一歩が、きっとある。