確信犯
ちょっとテレビを観てて、「確信犯」という言葉の説明があった。「悪意の殺人には限度があるが、善意の殺人には限度がない」
滝本弁護士
私はずっと「悪い事とわかっていながら行う犯罪者」のことだと思っていたら、「政治、宗教、道徳など信念を持って正しいと信じておこなう犯罪」のことだった。
正しさの為に多少の犠牲はやむをえない
むしろ犠牲ではない
犠牲どころかそれらは本人にとって喜ばれるべき行いなのである
と考えたりしながら犯される行為のことだろうか。
しかしこれが、他人事でない。
なぜなら、政治、宗教、道徳など、信念を持って正しいと思っていることなんて、私たちのごく日常のことであるし、「何をもって信念を為しているか」によって、その”正しさ”の所以は変わってくる。
自分はこれでいい、と思っているものほど、疑ってかかったほうがいいだろう。
「善意の殺人」までいかなくとも、「善意の暴力行為」はごく身近にある。正しいと確信している自分の行動を、あらためて確認する必要がある。
その確認が出来ているかどうか、誰に確認してもらうかは実に重要なのだった。
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