鎌倉時代の宗祖たち

他の宗祖にぱっちり疎いので、まったく私用に鎌倉時代の主な宗祖たちの生涯を主にウィキペディアで年代順に並べてみました。
年齢は数え年で、生まれたときを一才に数えています。

もう少し加筆修正すると思います。
道元がもう少し長生きしていたら、今の日本は何かちがっていたかもしれない。

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法然(1133年)生まれる
栄西(1141年)生まれる
親鸞 承安3年(1173年)生まれる。
法然 43歳 承安5年(1175年)、善導の『観経疏』によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘めた
※ (1181年〜) 天下大飢饉
【能忍】 文治5年(1189年)、練中、勝弁の二人の弟子を宋に派遣し育王山の拙庵徳光に自分の禅行が誤っていないか文書で問いあわせた。徳光は禅門未開の地で独修した能忍の努力に同情し練中らに達磨像、自讃頂相などを与え印可の証とした。
栄西 51歳 建久2年(1191年) 虚庵懐敞より臨済宗の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。 福慧光寺、千光寺などを建立し、筑前、肥後を中心に布教に努める。
【能忍】 栄西 54歳 建久5年(1194年)、栄西と共に京で禅宗を起こす運動を始めるが延暦寺興福寺の訴えにより朝廷から禅宗停止の宣旨が下される。能忍、暗殺される(文治5年殺害説もある)。ただし、能忍の死因には諸説あり、近年の研究では病死または事故死とする説が有力になりつつある。
栄西 55歳 建久6年(1195年) 博多に聖福寺を建立し、日本最初の禅道場とする。 同寺は後に後鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を賜る。 栄西は自身が真言宗の印信を受けるなど、既存勢力との調和、牽制を図った。
【懐奘】 (1198年)生まれる
道元 (1200年)生まれる
親鸞 29歳 建仁元年(1201年)、京都市内の六角堂に参篭し救世観音に祈念し、95日目の暁に、聖徳太子(救世観音)の夢中の示現と偈句を得て、法然のもとに行った。このとき、法然は69歳。
栄西 62歳 建仁2年(1202年) 源頼家の外護により京都に建仁寺を建立。 建仁寺は禅・天台・真言の三宗兼学の寺であった。以後、幕府や朝廷の権力に取り入り、それを利用して禅宗の振興に努めた。
法然 72歳 元久元年(1204年)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫って蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添え延暦寺に送った。しかし興福寺の奏状により念仏停止の断が下された
親鸞 33歳 入門5年後の元久2年(1205年)4月14日選択集の書写を許された。
栄西 66歳 建永元年(1206年) 東大寺勧進職に就任。
法然 親鸞 35歳 建永2年(1207年)2月、興福寺の訴えにより、専修念仏の停止と、遵西など4名を死罪、法然親鸞ら8名が流罪となった(承元の法難)。
このとき親鸞は僧籍を剥奪され、越後国府に配流された。禿の姓を名のって非僧非俗の生活を送った。越後において結婚したという説も有力であり、配流中に子をもうけている。
法然は還俗され藤井元彦を名前として、土佐国(実際には讃岐国)に流罪となった。
法然 79歳 □ 親鸞 39歳 建暦元年(1211年)流罪から4年、赦免。法然は帰京。親鸞は越後にとどまる。
法然 80歳 建暦2年(1212年)1月25日に死去
道元 13歳(1212年)比叡山に入る。14歳 建暦3年(1213年) 比叡山の母方の叔父良顕を訪ねる。受戒
栄西 73歳 建保元年(1213年) 権僧正に栄進。 政治権力にひたすら追従する栄西には当時から多くの批判があった。特に栄西が幕府を動かし、大師号猟号運動を行ったことは大きな非難を浴びた。 栄西の策動は生前授号の前例が無いことを理由に退けられるが、天台座主慈円は『愚管抄』で栄西を「増上慢の権化」と罵っている。
道元 15歳 建保3年(1215年) 三井寺の公胤の元で天台教学を修める。
栄西 75歳 建保3年(1215年) 死去。終焉の地は鎌倉、京都の2説がある。
道元 17歳 建保5年(1217年) 建仁寺にて栄西の弟子明全に師事。
【懐奘】 21歳 健保六年(1218年)、二十一歳のとき、延暦寺戒壇院で菩薩戒を受ける。
日蓮 貞応元年(1222年)2月16日生まれる。
道元 23歳 貞応2年(1223年) 明全とともに博多から宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗の天童如浄より印可を受ける。
日蓮 12歳 天福元年(1233年)に清澄寺(せいちょうじ)の道善を師として、入門する。
道元 28歳 安貞2年(1228年) 帰国。
道元 35歳 天福元年(1233年) 京都深草興聖寺を開く。 この頃、比叡山からの弾圧を受ける。
日蓮 17歳 暦仁元年(1238年)に出家し、「是生房蓮長」の名を与えられた(是聖房とも)
日蓮 19歳 仁治元年(1240年)に比叡山へ遊学。また高野山でも勉学に勤しむ。その際妙法蓮華経法華経)こそが釈迦の本懐であるとの結論に至った。しかし、これを即座に言い始めても衆生を混乱させることを憂慮し、法華経勧持品に予証される末法出現の法華経の行者、上行菩薩の最誕との立場から、「南無妙法蓮華経」と唱えることを第一として弘教をはじめる。
【懐奘】45歳 仁治2年(1241年)、道元との法戦により、懐奘と共に日本達磨宗の僧数十人が道元門下に改宗する。
道元 46歳 寛元2年(1244年) 傘松に大佛寺を開く。
道元 48歳 寛元4年(1246年) 大佛寺を永平寺に改め、号も希玄と改める。
※この頃、執権北条時頼、波多野義重ら招請により教化のため鎌倉に下向する。鎌倉での教化期間は半年間であったが、関東における純粋禅興隆の嚆矢となった。
【日興】 寛元4年3月8日(1246年3月8日)生まれる
道元 55歳 建長5年(1253年) 病のため永平寺を弟子の孤雲懐奘に譲り、俗弟子覚念の屋敷(京都高辻西洞院)で死去
【懐奘】 57歳 建長5年(1253年)、道元入寂後、跡を継いで永平寺2世となる
日蓮 32歳 建長5年(1253年)清澄寺に帰山し、3月28日には内々に両親および浄顕房・義浄房に対して折伏を行い、内証の上の宣言を行い、4月28日朝、昇ってくる太陽をはじめ宇宙法界に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め立宗宣言した。この日の正午初転法輪を行った。
日蓮 33歳 (1254年)鎌倉に出て弘教を開始する。このころ日蓮と名のる。辻説法で「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」(「四箇格言」)などと他宗を不成仏の法として批判した。
日蓮 39歳 文応元年(1260年)8月27日、実相寺の一切経蔵で著した立正安国論を前執権で最高実力者の北条時頼に送る。※親鸞この時 88歳。
日蓮 40歳 1261年(弘長1年)幕府によって伊豆国伊東へ流罪
親鸞 90歳 弘長2年(1262年)11月28日(太陽暦:1263年1月16日)、弟の尋有(じんう)僧都(そうず)の住坊「善法坊」において死去
【紹瑾】 (1264年)生まれる
日蓮 47歳 文永5年(1268年)蒙古から幕府へ国書が届き、他国からの侵略の危機が現実となる。
日蓮 50歳 文永8年(1271年)幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で捕らえられ、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけるが、怪異が発生し中止された。 評定の結果佐渡へ流される流罪中の3年間に日蓮当身の大事という人本尊開顕の「開目抄」、法本尊開顕の「観心本尊抄」などを著述。このころ日蓮は、末法の時代に即した法華曼荼羅を完成させた。この法華曼荼羅が、後世の人々に多大な影響を与えることとなる。
日蓮 53歳 文永11年(1274年)春に赦免となり、頼綱から蒙古来襲の予見を聞かれるが、日蓮は「よも今年はすごし候はじ」(「撰時抄」)と答え、同時に幕府に対する3度目の諌暁をおこなうが幕府は聞く耳をもたなかった。その後、最も信頼される日興の弟子であり、身延の地頭、波木井実長清和源氏甲斐源氏武田流)の領地に入山。身延山を寄進され身延山久遠寺を建立した。
蒙古襲来文永の役)。予言してから5か月後。
【紹瑾】 13歳 建治二年(1276年)、になった行生は、懐奘(えじょう)のもとで受戒
日蓮 58歳 弘安2年(1279年)10月、在家信徒・四条金吾への手紙「聖人御難事」の中で出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を図顕した。(日蓮正宗のみの伝承)
【紹瑾】 17歳(1280年) 孤雲懐奘について得度。
【懐奘】 83歳 弘安3年(1280年)8月24日死去
日蓮 60歳 弘安4年(1281年)兵力を増した蒙古軍が再び襲来弘安の役)。
日蓮 61歳 弘安5年(1282年)10月8日、日蓮は死を前に弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を後継者と定めた。10月13日、死去
【日興】 37歳 弘安5年(1282年)日蓮が「日蓮一期弘法付嘱書」(身延相承、9月)と「身延山付嘱書」(池上相承、10月)をもって日興に付嘱されたため、両書をあわせて「二箇相承」という。ただし二箇相承は後世の偽書の疑いが強い。
【紹瑾】 58歳 (1321年) 能登總持寺を開山する。
【日興】 52歳 正慶2年(1333年)死去
【紹瑾】 64歳(1325年) 永光寺にて死去
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法然
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6 
親鸞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E
【能忍】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%88%BF%E8%83%BD%E5%BF%8D
栄西
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E8%A5%BF
道元
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%85%83
【懐奘】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E9%9B%B2%E6%87%90%E5%A5%98
【蛍山紹瑾】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%A9%E5%B1%B1
日蓮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE
【日興】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%88%88