日蓮の言葉
日蓮正宗と日蓮宗のちがいは、一番わかりやすいところは、
日蓮宗は教主釈尊、日蓮正宗は日蓮本仏。
とても簡単に言うと、
日蓮宗は釈迦の教えのもとに日蓮の言葉、法華経の教えがある。
日蓮正宗は法華経を選択した日蓮を教主とし、日蓮の言葉を教えとし基本とする。
(詳しい事を知りたい場合にはリンクより各サイトへどうぞ)
はたから見れば微妙な差だけれど、その教えはまったく変わる。
教えが変われば信者が信じるものも変わる。
信じるものが変わればその人の考え方や姿勢も変わる。
日蓮系団体の御書の扱いがどうなっているのか気になってちょっと聞いてみた。
日蓮御書ならば日蓮宗も日蓮正宗も同じ御書を使っていると思っていたら、どうやら違うらしい。
日蓮御書というのは、日蓮御遺文がいくつも集められたもの。
そのなかには、日蓮本人が書いたとは言えないものがいくつも混ざっているという。
日蓮没後数百年の間に日蓮の御遺文の一部は、他人の手で作成されているようだ。
なぜ偽書が作られ、本物の偽書の中にまざってしまったのか。
それをしなければならない誰かの都合があったのかもしれない。
真偽のほうは「昭和定本」というもので確認できるそうだ。
(平成新修というものについてはよくわかりません)
おおまかにに分ければ、
・日蓮本人が書かれたという証拠(真蹟)があり確定されるもの。
・真蹟はないが、いまだ判別のつけがたいもの。
・偽書とされるもの
にわかれる。
現代の日蓮教学研究の皆さんが、時代考証や研究を重ね、選り分けられている。
それらをどういう風に使い分けているのか、日蓮宗のご僧侶に聞いてみると、本物として確定されたものを扱うのは当然のこと、偽書などは捨て去る事もなく、偽書とした上で使用されているという。それらが作られた背景などを考慮にいれることも大事な事なのだろう。
また日蓮系宗教団体それぞれで、扱っている御遺文は違うという。
偽書を本物として使用していたり、使用している割合がほとんど偽書といわれるものであったりする団体もあるという。
それでも信仰があれば宗教団体は宗教団体の都合で成り立ってしまうというのも事実だ。
あなたの所属する団体は日蓮御遺文をどう扱っているか、確認したことはあるだろうか。
日蓮宗のサイトに御書の真偽について掲載されているものを発見したのでリンクさせていただきます。